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120%で働いて休職した私に、上司が言い放った言葉

新美舞子:2014年入社。新卒で入社し、事務職と設計職を経て企画・広報に。


■酒屋仕込みの英才教育で、無事社会人に

実家が酒屋の私は、仕事の英才教育を受けて育ちました。
というのも、お客さんから仕事の話をたくさん聞かせてもらったからです。

漠然と将来について考えて始めた高校生時代、ほとんどのお客さんは私に
「社会人になったら大変だぞお。学生のうちは遊んでおけ」
と言いましたが、ひとりだけ
「社会人は楽しいよ」
と笑うお客さんがいました。その人が建築士だったので、
「建築士になったら仕事を楽しむ社会人になれる!」
と思い、大学では建築学部を選びました。

製図や模型など時間がかかる課題に追われながらキャンパスライフを送り、満を持して就活へと突入しましたが、気合いを入れて挑んだ面接の返信は
「誠に残念ではございますが」
というものばかり。

背伸びして挑んだ面接が不合格なら、ありのままの自分で勝負するしかない。
というかもう疲れたから、ありのままの私を受け入れてくれる会社がいい。

企業に振られすぎて思考回路がショートした私は、ようやく面接まで漕ぎつけたハウスドゥの会議室で
「志望動機は、家から近いことです!」
と元気いっぱいに答えました。(実際に家から徒歩5分の場所に店舗がありました)

当時の採用担当者は目を丸くしてから
「君、おもしろいね」
と微笑み、採用通知を送ってくれました。

しかし、最初の職種は建築士ではなく、事務。
「せっかく大学で設計を学んだのに、事務!?」と愕然としましたが、
「まずは事務の仕事で会社全体の流れを覚えてほしい。その後に設計をやってもらうから」
と言われ、しぶしぶ頷きました。

そこでまた思い出したのが、酒屋のお客さんです。
あるお客さんが、ほろ酔いでこんなことを言っていました。

「仕事ができる人って、どんな人だと思う? 仕事ができる人っていうのは、相談する相手が多いんだ。自分の引き出しがなくても、他人の引き出しを使って仕事ができるんだよ。人脈が大事だってよく言うだろう。いろんな仕事に手を出して、いろんな人脈を作っておいたほうがいいよ」

その言葉を思い出し、いろいろな部署の人とやり取りする事務職で社内の人脈を増やすのもいいかもな、と気持ちを切り替えました。

実際、当時作った社内での人脈は今の仕事に生きていて、久しぶりに連絡した人も
「新美さん、元気だったー?」
と気さくに話してくれます。
設計士になってからも「事務を経験しておいてよかったな」と素直に思えました。

■完璧主義ゆえにパンクし、半年間も休職した

入社して8年目を迎えた頃、私は盛大につまずきました。

設計士としての経験を積んで一通りの仕事をこなせるようになっていた頃、先輩が異動になって自分が現場をまとめる立場になり、仕事が次々に振ってきたのです。
完全にキャパオーバーで、処理しきれませんでした。

「新美さんならこれもできるでしょ」
そう言って渡される仕事を
「できません」
とは言えませんでした。
そう言えばよかったのに、完璧主義な私は自分の口をふさぎ続けたのです。

キャパオーバーして仕事で問題が起こるたびに
「どうしてできなかったんだろう」
「私がもっとしっかりと指示していれば問題は起きなかったのに」

と何度も自分を責め、追い詰めていきました。

それでも「がんばらなきゃ」と自分に鞭を打ち、泣きながら出社していましたが、日に日に気力がなくなっていき、ついに起きられなくなりました。
先輩たちは
「抱え込みすぎだよ。休んだほうがいいよ」
と言ってくれ、市田社長に直接相談すると
「気が済むまで休んだらいい」
と休職期間を与えられ、半年ほどゆっくり休むことができました。

市田社長が店長だった頃からずっとお世話になっていますが、誰よりもストイックで、誰よりも優しい人です。

半年も休職して、迷いなく復帰できたわけではありません。
休んでいる間、1日20時間寝て、起きている4時間は
「期待に応えられなかった」「迷惑をかけている」
と自分を責め続けた私は、すっかり自信をなくしていました。

「社長には、きちんと伝えよう」
そう思った私は、意を決して
「戻るのはしんどいかもしれないです」
と連絡。
すると、喫茶店に呼び出されました。

社長はまっすぐに私を見て、こう言いました。

「新美、やめるな。この先、俺はハウスドゥで不動産業界の課題を解決していきたい。でも、まだ採用やマーケティング、ブランディングが弱いんだ。そこを改善するには、絶対にお前の力が必要だ」

この言葉を聞いて、復帰を決めたのです。

「この仕事しかしなくていい」とか「時短でいい」とか、そういう楽な働き方を提案されたわけじゃありません。
むしろ未経験の企画・マーケティング・広報といった仕事を任せると言われていて、今まで以上の働きを求められています。

でも、知識や経験がある中途社員を探すのではなく、未経験の私のポテンシャルを見込んで
「お前に任せたい」
と言ってもらえると、ふつふつと意欲が湧いてきました。

社長にとっても、未経験の私を起用することはチャレンジです。
そんなリスクあるチャレンジをするために、わざわざ私を呼び出し、1時間も説得してくれたのです。

今回に限らず、社長は後ろ向きの提案をしません。
常に前を向いて「俺はこうしたい」と言っている姿を見ていると、自然と「私もいっしょにやりたい」と思えます。
社長がいなかったら、今私はここにいないでしょう。

きっと私以外にも、そんなメンバーがたくさんいると思います。
メンバーの素質を見極め、適材適所で「なくてはならない人材だ」と伝え、意欲をかき立てる。そんな市田社長が、今もリーダーとしてハウスドゥをひっぱっています。

■完璧主義は毒になる。仕事は8割でいい

休職するまでの私は、120%達成しないと気が済まない人間でした。
完璧主義ゆえに0か100かで考えてしまい、120%達成できなければ50%だろうが100%だろうが「0%」だと思ってしまうのです。

でも長く走り続けるなら、100%でさえ息切れします。
無理なく着実に継続するには、80%くらいがちょうどいいんです。

私は、無駄な自意識を持ちすぎていた気がします。
「任された仕事は私がやらないといけない」と思い込み、「失敗したらかっこ悪い」と自分の評価ばかり気にしていました。
「後輩に引き継ぐにしても、時間を取ってじっくり教えないといけない」と考え、手が回らないままでした。

社長は、こんなアドバイスをくれました。

自分の状態を知って、8割の行動を心掛けるといい。8割でやっておけば、残りの2割でイレギュラーに対応できる。どうしても10割やらなきゃいけないことがあるなら、8割だけ自分でやって、残りの2割は後輩に任せてみるべきだ。そうすれば新美はもっと高いところを目指せる」

言われてみれば、私以外のメンバーに分業したり、指導を任せたりしてよかったはず。
なのに自分でやることに固執していた私は、どこかで
「自分でやらないと、自分の成果にならない」
と考え、仕事を囲い込んでいたのだと思います。
その分だけ「新美さんならできるよね」と任される仕事が増えましたが、そのせいでパンクしてしまいました。

さらに、本来であれば後輩に任せる仕事まで自分で抱え込んだことで、知らず知らずのうちに後輩が成長する機会を奪っていました。
過剰な自意識による責任感は、もはやただのお節介です。

120%を目指すとしても、自分で80%やって、あとの40%は人に任せればいい。
任せられないなら、期限を延ばしてもらったり、対応範囲を減らしてもらったりして、80%の範囲に収める努力をすればいい。

そう思って「全部自分でやる」という完璧主義を手放したら、人を頼れるようになり、世界が変わって見えました。

このnoteアカウントの運用も任せてもらっていて、市田社長から与えられたミッションは
「ハウスドゥで働きたいと思えるコンテンツを作る」
です。

ミッションを達成するには、私1人の力じゃ足りません。
だから私以外のメンバーにも協力してもらい、みんなの記事を載せています。

事業も組織も、結局は「人」の集合体です。
みんなが「ハウスドゥで働けてうれしい」と思えるように、できることを8割でやり、みんなに残りの2割をやってもらって、よりよい「人」の集合体を作っていきたいです。

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