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ハウスドゥ社員インタビュー

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不動産会社・ハウスドゥで働く社員の本音とは? 実際のエピソードや仕事を楽しむヒントをコラムでお届けします。
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#就活体験記

「努力しても成果が出ない」と感じている人へ

給料が安いのに、この会社にいていいんだろうか。 25歳の私はそんな不安を抱えていました。 新卒で住宅建材の販売営業になったものの、「これから伸びそうだ」と思って入社した会社は一向に成長せず、いつまでも給料が低いまま。 結婚が決まって 「今の自分は家族を支えられるのか」 といよいよ心配になり、転職活動をスタートしました。 26歳で不動産営業へ転職して数々の店舗で店長を務め、30代で「社員のだれよりも全国を飛び回った営業」に。 仕事への向き合い方がガラッと変わり、今は給料の不安

「お客様のために働く」という嘘を、本当にする方法

久田直哉:2010年入社。新卒で入社した西日本営業部長。 ■「自分のために」の先に「お客様のために」がある 就活でいろいろな会社の説明会に参加したが、グループ代表 安藤の言葉には度肝を抜かれた。 「『お客様のために働く』なんて言葉は嘘だ」と言い放っていたからだ。 ざっくりだけど、こんなことを言っていた。 「会社説明会でよく『お客様のために』って言う人がいるけど、マザーテレサじゃあるまいし、お客様のためだけに仕事できる人はほとんどいない。俺だってそうだ。人間は自分自身が人

独立するつもりだった僕が会社員を選んだ理由

自営業の家に生まれ「独立するつもりだった」と言う池淵寛之さん。 売る力を求めて営業になりがむしゃらに努力したものの、沖縄に転勤してからつまずいたそうです。 長く成果が出ず、心折れかけた時に支えてくれたのは「根性論の上司」と「理論派の上司」。 そこで初めて独りよがりになっていたことに気づいたそうです。 「たくさん稼いでさっさと独立したい」 と思っていた池淵さんが、12年も会社員を続けて部長になるまでを伺いました。 ■「お金を稼ぐだけじゃ意味がない」と言う代表に惚れた 僕

希望の部署じゃない時に、やりがいをどう見つけるか

2015年入社。新卒で入社し、設計士に(23年12月取材時点)。 ■希望の配属先から異動になった時の「やりがい探し」 ずいぶん昔から「空き家問題」が問題視されている。 高齢化社会が進む以上、避けられない問題でもある。 だから新しい家を作るのではなく、既存の住宅を活かすリフォーム事業に社会的意義を感じ、就活でハウスドゥに興味を持った。面接では 「配属先は京都になると思うよ」 と言われ、京都の昔ながらの住宅に携われることにも魅力を感じた。 ところが、入社して二年目の夏にリ

楽な仕事は楽しくない。楽しく働くたった1つの条件

内藤風章:2014年入社。新卒で入社し、営業から施工管理へジョブチェンジ。沖縄エリアでチームリーダーを務める。 ■「体育会系っぽくない」という理由で再面談 実は、ハウスドゥの一次面接を2回受けている。 10年前、大学生だった僕は 「社会人になったら、自分の力をとことん試したい」 という思いがあり、就活では年功序列の会社ではなくベンチャー志向の会社を目指した。 営業を選んだのは、当時の自分にとって職種は「営業」と「事務」の二択しかなく、 「学生時代にサッカーしかやってこ

120%で働いて休職した私に、上司が言い放った言葉

完璧主義ゆえに、パンクしてしまう。 0か100かでしか考えられない不器用な人も、世の中にはいると思います。 「どうしてできなかったんだろう」と自分を責め、入社8年目でパンクしたという新美さんもその一人。 泣きながら出社するようになり、休職しました。 すっかり自信をなくして「復帰できない」と思った時、社長が喫茶店に呼び出して発した一言が運命を変えました。 今回は、そんな忘れられないエピソードについて伺いました。 ■酒屋仕込みの英才教育で、無事社会人に 実家が酒屋の私は

転職を繰り返し、何も持たない私が見つけた戦い方

堀部弥来:2022年入社。複数回の転職を経て中途入社。設計から企画マーケに。 ■好奇心旺盛な私の転職事情 私は転職経験が多い。 学生時代から、アルバイトを掛け持ちしすぎていた。 どの仕事にもそれぞれ魅力があって、働くのが純粋に楽しかった。 空間デザインの専門学校を卒業してから、デザイン住宅の設計事務所で働いたのち、大手家具量販店に転職。副業で、インテリアスタイリストのアシスタントを務めていた。 手当たり次第やりたいことに取り組んでいたが、20代の終わりに差し掛かって