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ハウスドゥ社員インタビュー

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不動産会社・ハウスドゥで働く社員の本音とは? 実際のエピソードや仕事を楽しむヒントをコラムでお届けします。
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#不動産

「努力しても成果が出ない」と感じている人へ

給料が安いのに、この会社にいていいんだろうか。 25歳の私はそんな不安を抱えていました。 新卒で住宅建材の販売営業になったものの、「これから伸びそうだ」と思って入社した会社は一向に成長せず、いつまでも給料が低いまま。 結婚が決まって 「今の自分は家族を支えられるのか」 といよいよ心配になり、転職活動をスタートしました。 26歳で不動産営業へ転職して数々の店舗で店長を務め、30代で「社員のだれよりも全国を飛び回った営業」に。 仕事への向き合い方がガラッと変わり、今は給料の不安

お客様の要望は全部叶えるべき?住宅設計で気づいた「提案力」の本質

「お客様は神様」と言うフレーズをよく耳にしますが、お客様の要望を何でもかんでも叶えればいい……とは限りません。 不動産会社で設計職の責任者を務める藤田和行さんは「すべての要望を叶えることが、お客様にとって幸せだとは限らない」と学んだと言います。 ゼネコンから不動産会社へ転職した藤田和行さんに「お客様のための商品とは何なのか」に気づくまでのエピソードを語ってもらいました。 ■企業のためではなく、お客様のために設計したい モノづくりに携わりたくて建築に興味を持ち、新卒で中堅

圧倒的1位になるには?挫折を経験しても1位であり続けた理由

営業で圧倒的ナンバーワンを誇る川原﨑保幸さんは「だれよりもやれば一番になれる」と断言します。 新卒で入社して1日2000枚ものチラシを配り、 何倍もの成果を出してきた川原﨑さんですが、大きな挫折を経験し、社長に「自分はこの会社に必要ですか?」と相談したこともあるそうです。 苦楽を経験してなおもトップ営業マンとして働く川原﨑保幸さんに、圧倒的1位を維持し続ける秘訣を語ってもらいました。 ■ナンバーワンの第一条件は「量」 社会人になったら、その会社でナンバーワンになる。 入

野球選手の夢をあきらめ、ディズニーランドのダンサーにも落ちた僕が「不動産会社」で働く理由

■野球選手になれず、ダンサーの夢も破れ、不動産業界へ 幼稚園から高校まで、野球一筋だった。 高校は野球の超名門校・中部商業。兄も同じ高校に入学し、プロ野球選手になった。 当然「自分もなってやる」と思ってバットを振っていたが、プロの壁は厚く、野球選手の夢はあきらめた。 野球部の仲間に「ハワイアンダンスに挑戦しよう」と誘われて、高校を卒業してからはダンサーを目指した。 ダンスをやってみると、想像以上に楽しくてハマった。 ダンススクールに2年ほど通って20歳になったとき、恋人

不動産営業は仲介と売買のどっちがいい?両方経験してわかった適正

田原章雄(不動産仕入れ営業) ■仲介営業一筋だった私が、不動産仕入れ営業になった理由 実は、ハウスドゥの中途採用を一度辞退しています。 前職は別の不動産会社で仲介営業をしていたのですが、ハウスドゥに転職した元同僚から 「総合不動産会社でフランチャイズ展開もしていて、将来性がある」 と聞いて中途面接を受けて合格したものの、前職の業務が忙しくて辞めるタイミングを失い、辞退したんです。 それでも採用担当者から1年近く「最近はどうですか?」といった連絡が定期的にありました。そ

「お客様のために働く」という嘘を、本当にする方法

久田直哉:2010年入社。新卒で入社した西日本営業部長。 ■「自分のために」の先に「お客様のために」がある 就活でいろいろな会社の説明会に参加したが、グループ代表 安藤の言葉には度肝を抜かれた。 「『お客様のために働く』なんて言葉は嘘だ」と言い放っていたからだ。 ざっくりだけど、こんなことを言っていた。 「会社説明会でよく『お客様のために』って言う人がいるけど、マザーテレサじゃあるまいし、お客様のためだけに仕事できる人はほとんどいない。俺だってそうだ。人間は自分自身が人

高卒で底辺給だった僕が、未経験で不動産上場企業の部長になれた理由

伊藤基晃:2012年入社。未経験から営業部の部長に。 ■一番苦手だと感じた営業職に、あえてチャレンジ 僕が一番苦手意識を感じていた職種は、営業職だ。 スーツを着て仕事する姿をイメージしただけで「苦手だ」と思った。 でも、営業職になった。しかも不動産。 人に話すと「なんで?」と驚かれる。 僕は高卒で、当時の給与はお世辞にも高いと言えず、仕事を掛け持ちしても、生活していくのがやっとだった。 このままずっと働き続けるには過酷すぎたので 「底辺からどこまで上に行けるか試した

独立するつもりだった僕が会社員を選んだ理由

自営業の家に生まれ「独立するつもりだった」と言う池淵寛之さん。 売る力を求めて営業になりがむしゃらに努力したものの、沖縄に転勤してからつまずいたそうです。 長く成果が出ず、心折れかけた時に支えてくれたのは「根性論の上司」と「理論派の上司」。 そこで初めて独りよがりになっていたことに気づいたそうです。 「たくさん稼いでさっさと独立したい」 と思っていた池淵さんが、12年も会社員を続けて部長になるまでを伺いました。 ■「お金を稼ぐだけじゃ意味がない」と言う代表に惚れた 僕

希望の部署じゃない時に、やりがいをどう見つけるか

2015年入社。新卒で入社し、設計士に(23年12月取材時点)。 ■希望の配属先から異動になった時の「やりがい探し」 ずいぶん昔から「空き家問題」が問題視されている。 高齢化社会が進む以上、避けられない問題でもある。 だから新しい家を作るのではなく、既存の住宅を活かすリフォーム事業に社会的意義を感じ、就活でハウスドゥに興味を持った。面接では 「配属先は京都になると思うよ」 と言われ、京都の昔ながらの住宅に携われることにも魅力を感じた。 ところが、入社して二年目の夏にリ

“お節介”な人だらけの会社に入り、働き方を変えた話

奥野紀子:2003年入社。設計業務を担当。 ■最初の仕事は「家電量販店風のインテリア」 ハウスドゥに入社したのは、もう20年前のことです。 それまでは工務店で現場監督やCADオペレーターをしていましたが、 「インテリア関係の設計業務がしたい」 と思い、ハウスドゥの設計職(コーディネーター兼プランナー)に応募しました。 未経験でのチャレンジに不安はあったものの、受付事務や面接官の印象が良かったので「ここなら大丈夫そうだ」と入社しました。 最初に任されたのは店舗の装飾です

120%で働いて休職した私に、上司が言い放った言葉

完璧主義ゆえに、パンクしてしまう。 0か100かでしか考えられない不器用な人も、世の中にはいると思います。 「どうしてできなかったんだろう」と自分を責め、入社8年目でパンクしたという新美さんもその一人。 泣きながら出社するようになり、休職しました。 すっかり自信をなくして「復帰できない」と思った時、社長が喫茶店に呼び出して発した一言が運命を変えました。 今回は、そんな忘れられないエピソードについて伺いました。 ■酒屋仕込みの英才教育で、無事社会人に 実家が酒屋の私は

仕事も人間関係もうまくいく“自分の分身”のつくり方

玉利亮斗:2020年入社。新築住宅の施工管理を担当。 ■我が子の誕生に向けて、育児目線での転職 4年前、我が家に新しい命がやってきた。 当時は広島県のハウスメーカーで施工管理を担当していたが 「これからの育児に向けて、京都にある実家の近くに引っ越したい」 と思い、転職サイトを開いた。 そこで出会ったのがハウスドゥ。 ちょうどコロナが流行り出した時期で世間は不穏な空気になり、私も少なからず不安を抱えていたが、初回の面接で即採用が決まってほっとしたのを覚えている。これで安心